衆議院の小選挙区定数是正が「0増5減」では論外な件について

2011年3月23日最高裁判決を考慮すると、衆議院の総選挙を行うためにはまずそれ以前に当該判決で「違憲状態」と指摘されている小選挙区間での「一票の格差」を是正しなければならず、そのためには「一票の格差」が拡大する原因になっている衆議院議員選挙区確定審議会設置法第3条第2項の規定、

選挙区の数は、一に、公職選挙法 (昭和二十五年法律第百号)第四条第一項 に規定する衆議院小選挙区選出議員の定数に相当する数から都道府県の数を控除した数を人口に比例して各都道府県に配当した数を加えた数とする

いわゆる「1名別枠方式」を改め、人口に比例して都道府県ごとの選挙区数が配分されるようにした上で、区割り審で新たな選挙区割を勧告してもらい、それに基づいて公職選挙法の別表を改正する必要があるだろ常識的に考えて…と思うわけですが、昨今の情勢としては、「定数是正の法案を成立させてあれば、実際に区割りが改正されて『一票の格差』が是正される前に総選挙を行っても、『是正の努力を行った』ということで違憲にはならないんじゃね?」みたいな一部の政治家の皆さんの常軌を逸したご都合主義的な見解に引きずられて、上記の常識的な考えは無視される傾向にあるようです。

ところが、政治家の皆さんがあまりに常軌を逸しているので(そして報道機関の皆さんもその常軌を逸しぶりに基本追随なさるので)あまり注目されませんが、ここでの問題は

「『違憲状態の原因』とされた都道府県別の選挙区数配分を是正する法案が通っただけで、現に『違憲状態』である実際の選挙区割の改正が行われていないのに総選挙が実施されること」(←さすがにこれについては、横路衆院議長長谷部東大教授をはじめいろいろな人が指摘しているし、報道機関も触れている

だけでなく、

「今国会審議されている法案(0増5減)は、『違憲状態の原因』として指摘された『1名別枠方式』を実質的に廃止していない。むしろ実質的に温存しつつ、人口比例ではない議席配分を行っている」

という問題があり、この点が管見の限りほとんど見過ごされているので、あえてエントリを立ててみようかと思った次第。

まずは次の表をご覧いただきたい。

都道府県 2010国勢
調査人口
人口比例
選挙区数
(1名別
枠なし)
人口比例
選挙区数
(1名別
枠あり)
改正法
選挙区数
(0増5減)
現行
選挙区数
北海道 5,506,419 13 12 12 12
青森県 1,373,339 3 4 4 4
岩手県 1,330,147 3 4 4 4
宮城県 2,348,165 5 6 6 6
秋田県 1,085,997 2 3 3 3
山形県 1,168,924 3 3 3 3
福島県 2,029,064 5 5 5 5
茨城県 2,969,770 7 7 7 7
栃木県 2,007,683 5 5 5 5
群馬県 2,008,068 5 5 5 5
埼玉県 7,194,556 17 15 15 15
千葉県 6,216,289 14 13 13 13
東京都 13,159,388 30 26 25 25
神奈川県 9,048,331 21 18 18 18
新潟県 2,374,450 5 6 6 6
富山県 1,093,247 3 3 3 3
石川県 1,169,788 3 3 3 3
福井県 806,314 2 3 2 3
山梨県 863,075 2 3 2 3
長野県 2,152,449 5 5 5 5
岐阜県 2,080,773 5 5 5 5
静岡県 3,765,007 9 8 8 8
愛知県 7,410,719 17 15 15 15
三重県 1,854,724 4 5 5 5
滋賀県 1,410,777 3 4 4 4
京都府 2,636,092 6 6 6 6
大阪府 8,865,245 20 18 19 19
兵庫県 5,588,133 13 12 12 12
奈良県 1,400,728 3 4 4 4
和歌山県 1,002,198 2 3 3 3
鳥取県 588,667 1 2 2 2
島根県 717,397 2 2 2 2
岡山県 1,945,276 4 5 5 5
広島県 2,860,750 7 6 7 7
山口県 1,451,338 3 4 4 4
徳島県 785,491 2 2 2 3
香川県 995,842 2 3 3 3
愛媛県 1,431,493 3 4 4 4
高知県 764,456 2 2 2 3
福岡県 5,071,968 12 11 11 11
佐賀県 849,788 2 3 2 3
長崎県 1,426,779 3 4 4 4
熊本県 1,817,426 4 4 5 5
大分県 1,196,529 3 3 3 3
宮崎県 1,135,233 3 3 3 3
鹿児島県 1,706,242 4 4 5 5
沖縄県 1,392,818 3 4 4 4

現行の選挙区数は、2000年国勢調査での都道府県人口に基づいて「1名別枠方式」により小選挙区定数300を比例配分(1名別枠の時点で比例配分じゃない(固定配分47+比例配分253)ですが。ちなみに配分方式はヘアー式(最大剰余方式)。計算方法とかはググれ。)したものです。

「1名別枠方式」を維持したまま、小選挙区定数を今回の改正法と同じく295とし、2010年国勢調査人口で配分したものが「人口比例での選挙区数(1名別枠あり)」です。もし現行法のまま区割り審が仕事をした場合は、この都道府県別の選挙区数(法律には直接書かれておらず、国勢調査人口によって自動的に決定される)に基づいて選挙区割の変更が行われていたはずです。具体的には東京都で1増、大阪府広島県徳島県高知県熊本県、鹿児島県で1減となり、これらの都府県を中心に選挙区割の見直しが行われたのでしょう。ただし、これでは最高裁判決に従ったことにはならず、違憲の疑いが濃いということになります。

最高裁判決で求められているとおり「1名別枠方式」を廃止し、人口比例で小選挙区定数295の配分を行った場合は「人口比例での選挙区数(1名別枠なし)」のようになります。選挙区数が変動する都道府県の数は33に及びますが、これまでの配分方式は地方に過大な議席が配分されていた中選挙区制時代からの移行期における過渡期的なもので、もはや妥当性が失われている(だから普通に人口比例させよ)というのが最高裁判決ですから、仕方ありません。

さて、今回通りそうな「0増5減」は、この中のどれに近いでしょうか。表をみれば一目瞭然なとおり、「現行(2000年国勢調査人口による1名別枠方式での配分)」や「2010年国勢調査人口による1名別枠方式での配分」にそっくりです。

今回の改正法は、現行の衆議院議員選挙区確定審議会設置法第3条第2項の「1名別枠方式」の規定そのものは廃止していますが、その代わり「都道府県別の選挙区数」を法律で直接定めてしまうことで、実質「1名別枠方式」とほとんど変わらない議席配分でお茶を濁そうというものなのです。

しかも、たとえば2010年国勢調査人口を元に何らかの方法で比例配分した選挙区数を法律に書き込むのならまだしも、今回の「0増5減」は単に「現行選挙区数あたりの人口が少ない方から5県の選挙区数を1減らした」というだけで、どのような意味でも比例配分になっていません。

この、「具体的な定数配分を法律に直接書き込む」方式や、「議員定数あたり人口が少ない(多い)選挙区の定数を減らす(増やす)ことで一票の価値の最大格差を縮める」方式の弊害は、私たちが中選挙区制時代にさんざん経験してきたことです。中選挙区制時代は公職選挙法の別表で選挙区ごとの定数が直接規定されており、人口統計に基づいて自動的に定数が見直される仕組みがなかったので、人口減少によって人口比例なら1.5議席程度しか与えられない3人区の代議士が「定数を減らすなら国会に火を放つ」などと放言したりして、いつまでも「一票の格差」の是正がなされませんでした。また、定数是正が実際に行われる場合も、それは「違憲状態」と言われないために極端に定数あたり人口が少ない(多い)選挙区の定数をいじるだけにとどまり、全体として人口比例の議席配分がなされることはなく、地方に大幅に偏った議席配分は中選挙区制の終焉まで維持されました。

今回の改正法で小選挙区都道府県別選挙区数が法律に直接書き込まれたことは、最高裁判決の趣旨に沿わずにお茶を濁しているだけにとどまらず、この中選挙区制時代の弊害の再来を感じさせるものです。

まぁ、小選挙区制なんかをわざわざ採用している時点で(「一票の格差」が生まれやすい選挙制度であるだけでなく、そもそも議会に民意が反映されてないでしょ、それで本当に民主主義といえるの?という意味で)論外なので、こんなことは些細な問題、なのかもしれませんけど。


(2013.4.15追記)
このエントリとほぼ同趣旨でより詳細かつ正確な説明が、政治学者の菅原琢さんによってなされています。
このエントリで詳しく述べていない部分を中心に、特に重要と思った記述を引用してみます。(図表・グラフも豊富に使われていますが、そちらは引用しづらいのでリンク先でご覧ください。)

一票の格差と一人別枠方式について考える(1/3) 現行法下で懸念される場当たり的定数是正

「廃止」となった一人別枠方式は、現在でもまだ生き残っており定数配分の基準となっている。
条文で廃止されているものの、現行法で規定されている都道府県別定数配分は一人別枠方式による配分を由来としているため、事実上、一人別枠方式は生きていることになる。しかも、13年前の人口にもとづいた配分のなかに、である。
この0増5減案が出てきた2011年5月当時から一人別枠方式が事実上存置されている点、2000年時人口での配分である点を筆者は指摘してきたが、ねじれ国会などの政局のなかでまともに議論されることなく0増5減の法改正は行われてしまっている。しかし、今回の一連の違憲判決のなかでとくに札幌高裁の判断がこの点に触れており、新聞の社説等でも取り上げられている。

現行法では、減らさなくてもよかった県について定数を削減しているのである。さらには、東京は本来増えるべきであったが増やしておらず、神奈川と大阪は人口が逆転したにもかかわらず定数は大阪のほうが多いままという逆転現象も生じている。一人別枠方式で配分しなおしたものと比較しても不合理な点が目につく議席配分を、現行法の附則の規定では行っているのである。

改正後の区画審設置法では第3条第2項が丸々削られているが、ここに規定されていたのは一人別枠方式だけではない。区画審が、どのような基準にもとづいて定数を配分すべきか、ということが規定されていたのであり、その方式が一人別枠方式だったのである。したがって、区画審法第3条第2項の削除によって、定数配分の具体的な基準がなくなり、2倍以内という一票の格差の上限以外の数値的基準がなくなったと言える。
この意味は非常に大きい。2倍という上限さえ満たしていれば、どのような配分でも法律上は許されることになったわけである。じつは、裁判所によって否定された一人別枠方式という議席配分方法は、各都道府県への配分を自動化することで、こうした政治の恣意を一定程度排除する機能を持っていたものである。

なかには「2倍という基準が守られればよいのではないか」と考える人もいるかもしれない。しかし、この2という数値目標が一人歩きすると、むしろ定数不均衡が放置される状況を生む可能性が高い。このことは、かつての衆院中選挙区時代の「場当たり的定数是正」を見れば明らかである。
この事実から考えると、一票の格差最大値に着目する定数是正は、定数不均衡を抜本的に解決せず、議員一人当たり人口が最多と最少の一部の地域だけ調整して一定値に収めるような安直な「是正」に終始する可能性が高い。
たとえばある県への配分が1.9倍の状態であったとしても、2倍以内という基準の範囲内であるため是正されず、3議席増やすべきところを1議席増に留めるなどということが起こるだろう。時間が経つにつれ、議員一人当たり人口の最大と最小の近辺に多くの都道府県が集まることになる。

一票の格差と一人別枠方式について考える(2/3) 比例配分の方法と比較

都道府県別での一票の格差を扱う場合、各都道府県の値の大きさだけに着目してしまいがちだが、同じ一票の軽さ/重さであっても、人口によってその影響を被る人の数が異なることは忘れられやすい。たとえば、人口規模の小さな県の一票の格差にこだわりすぎると、人口規模の大きい都道府県の多数の人々に損を被らせるようなことが起こりうる。

一人別枠方式には特に利点がないことがわかる。小県に守るべき特別な利益があるという場合には選択すべきだが、そのように考える余地はないだろう。
ここで有利条件を生み出す人口規模は、都道府県という境界の中でたまたま小さく区切られたために発生したに過ぎない。人口が最小の県である鳥取県の人口は、2010年国勢調査で58万9千人であり、政令指定都市以外で最大の人口規模を持つ市である千葉県船橋市の人口60万9千人よりも少ない。同市は単独でひとつの選挙区・千葉4区を構成し、一票の格差がもっとも軽い選挙区となっている。仮に船橋市が県として独立すれば、一人別枠方式の下ではそれだけで2議席が与えられることになる。東京都が湾岸、下町、山の手、都下の4つに分かれていたら、それだけで3議席増えることになる。
たとえば農業従事者の利益を守るべきという話であれば、人口規模も農業の生産額も大きい千葉県などの農家も守られるべきだろう。議員の数は面積も考慮すべきという奇天烈な意見もあるが、仮にそうであるならば、まず北海道が優遇されるような配分方法を採用するべきだろう。たまたま境界で区切られた範囲に居住する人口が多かったり少なかったりによって定数が異なることに、合理的な理由はない。

この問題に関心を持たれる方は、ぜひ参照してください。

idトラバへのお返事。

id:Mikagura

文章の殺陣...へのお返事です。

仔細にお返事しようとすると枝葉の論点に迷い込んでしまいそうなので、ばっさり切って(こちらが考えるところの)要点のみ簡単にお返事いたします。
id:genovese33さんあてにTwitterで書いたことと重複してしまう部分もありますが、ご容赦ください。

(1)自分らが社会的に不遇だから排外主義に走るのだ、と自ら主張するような人達は、自分のやっていることがまぎれもなく差別であること、そして差別は一般的に悪いことであることはわかった上でやっているのだと言えます。
つまり、悪いと知らずにやっているのではなく、悪いと知っていてやっているのですから、もし彼らの相手をするとしても、それは知識を提供したり論理的に説得すればわかってくれる筈だというような「欠如モデル」に基づく対応ではなく、「悪いと知りつつ差別する」というその態度自体が悪い(これがhokusyuさんがよくいう「たましいが悪い」でしょうか)、という言い方にならざるを得ないと思います。
もし、これを「クズだと切り捨てている」とおっしゃるなら、ではどんな対応があり得るのか、相手には通じないと知りつつ知識の提供や論理的な説得をただ繰り返して消耗していけばいいというのか、と思ってしまいます。(個人的には、そこまで継続的にそうした人の相手をしたことがあるわけでもないので、どれほど消耗するものなのかはわかりませんが。その意味で、ネットにもぐら叩きのように沸いてくる歴史修正主義者などに根気強く対応しておられるような方には敬服してしまいます。)

(2)もし彼らが、社会の矛盾やそこからくる自らの不遇のゆえに排外主義に走るのだとして、左翼としてやるべきことは、そうした社会を変えることを通じて結果として彼らのそうした態度を変えることであって、彼らを一人一人説得して態度を変えさせることではないと思います。
上部構造(個々人の持つイデオロギー)を直接いじるのではなく、下部構造(個々人の物質的な生活条件)を変えることで上部構造も変えていく、というのは、左翼の本道だろうと思います。ちょっと古くさいぐらいに。
つまり、「たましいが悪い」のを変えるのに最も有効なのは、そのたましいの在り方を規定している物質的(経済的・社会的)諸条件を変えることだとするのが、本来の左翼的な考え方だ、ということです。

(3)基本的には以上で終わりなのですが、Mikaguraさんのご指摘は、「そもそもそういう『たましいが悪い』連中こそ、左翼が真にオルグすべき対象じゃないのか?」というところにもあると思います。確かに「社会を変える」と言っても、変革主体がいなければ始まらないわけで、オルグは重要でしょう。
ただ、そこで回心をもたらすのは、必ずしも「キミの辛い気持ちはわかる、わかるよ〜」と抱擁してあげることではないのではないか、むしろ、「問題はお前自身のたましいのありかたにあるんじゃないのか?」とはっきり直面させることで、すぐには無理でもいつか目が覚めるということもあるのではないか、と思えます。
その意味で、「差別することに居直るお前はクズだ」という非難は、単に切り捨てているのではなく、何らかの呼びかけの契機をもっていると言えるのではないか。私としては、今のところそのように考えています。

不充分な点だらけかもしれませんが、ひとまずこんなところで。

明日からしばらくはてブをお休みしようかな、と。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.kurihama-alcoholism-center.jp/tiar/のインターネット依存度テストが話題にあがったからというわけでもなく、といって何か深刻な個人的事情がはてブの継続を許さなくさせたというわけでもないのですが。

1回目(http://d.hatena.ne.jp/kyo_ju/20100729/p1(休止のお知らせ)http://d.hatena.ne.jp/kyo_ju/20101111/p1(再開報告))のときと同じく、ブクマの新規追加はしばらく中止、再開時期未定、プライベートモードにするでもなくそのまま放置、ということにしようと思います。タグの整理もしたいですが面倒なので多分しないでしょう。

あ、今回は以前の教訓を活かして、Twitterも更新停止にしてみようと思います。

それでは。

(2011/1/23追記:結局いろいろ騒がしかったので12月上旬にはてブツイッターとも復帰したという。)

「はてなブックマークのエントリーページを改良しました」のコメント欄で質問してみた

グループ日記へのコメントだとダイアリのサイドバーの「最近のコメント」にも表示されないし、念のため貼り付けておく。

kyo_ju2011/04/11 21:15
「これまで、エントリーページは、コメントを新着順に表示することを主な目的としたシンプルなページでした。今回の改良で、「人気のブックマークコメント」という欄を新たに設け、はてなスターなどで人気を集めたブックマークコメントを、快適に閲覧できるようにしました」

とありますが、エントリページが「コメントを新着順に表示することを主な目的としたシンプルなページ」であることでどのような問題や不便さがあり、今回の改良によってその問題や不便さがどのように解決されたのか、このお知らせでは全く明らかにされていません。
この点について、はてなとしての考えを是非お聞きしたいものだと思います。

私個人としては、多数のブックマークコメントが新着順で一覧表示できることにはてなブックマークのエントリページの利便性を感じていたので、今回の"改良"によって、逆に大きく不便になったと感じています。また、他の多くのユーザも、従来のエントリページに同様のメリットを感じており、同様に今回の"改良"で不便になったと感じているようです。
このエントリへのブックマークコメントでも書きましたが、あえて従来のユーザの多くが不便を感じることが容易に予想可能なインターフェースにすることには、何か意図的なものがあるのではないかと勘繰ってしまいたくなるほどです。
このままでは、少なからぬはてなブックマークユーザが単に不便を感じるだけでなく、「自分ははてなにとって『招かれざる客』なのか」といった不快な思いを抱えながらはてなブックマークを利用することになってしまうように思います。
そうならないためにも、はてなとしての今回の"改良"の意図の正直な説明を期待する次第です。

最後に、これは余談ですが、「人気を集めたブックマークコメントを、快適に閲覧」することは、そもそもはてなスターが多く付いている時点で目立つので、従来のエントリページでも充分に可能だったと思います。

http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20110405/1301981564

文面は、ちょっとくどかったなと反省中。

Re:無理にアクセスアップを狙わない日記の書き方10ポイント

http://d.hatena.ne.jp/zaikabou/20101116/1289888881
前々エントリでも書いたとおり、日記でも書いてみようかと思ってはてなidを取ったのに、結局脇道にそれて全く書いてない人間がレスしてみますよ。

1.ブログタイトルが読めない

意味や由来がわかりやすく、一見して平易な字面のブログタイトルの方が印象に残りづらく、検索やらはてブやら画面でも目立ちにくいと思いますけど?

ちょっと毛色が違いますが、『つれづれなるままに…』みたいなタイトルを安易につけると、他の日記と見分けがつかなくて覚えてもらいにくい

と、zaikabouさんご自身も仰っているように。
その点、「懶惰」とか、字面的にも適度にフックになり覚えられやすい(読み方を検索したりすればなおさら覚えちゃいますよね)、上手な(←「無理にアクセスアップを狙わない」という本来の目的に照らしていうと、あまり褒めてませんけどw)文字遣いなんじゃないでしょうか。
ところで、ブログタイトルの由来にかんするうんちくでエントリ一本書けるくらい、というのは羨ましい限りで、私のこのブログタイトルなんて、せいぜいリアル友人のid:stakiくらいにしかわからない内輪の事情に由来しているので、どうにも語りようがありません。

2.記事が無駄に長くだらだらしている

個人的には、前置きでどうでもいいうんちくとか言い訳とか近況報告とか時候の挨拶とかが開陳されていた方が好きなタイプなのでなんとも。
なに、ブログエントリの長さなんて大したもんじゃないですし…

3.ブログのテーマを絞らない
ブログには、大抵、はっきりとしたテーマがあるものです。主に政治経済について語る、ライフハックデジタルガジェット、美容やエステダイエット、旅行記、グルメ、アート…。

私もそう思った日が昔ありました…(というか、思っているうちに安易な道に流れ…という次第。)

私のブログは何しろ、日々起きたことをそのまんま記録するために書いています

これ自体がものすごく「テーマ」だと思うんですけど、どうでしょうか。
日々起きたことをそのまんま記録するブログを書くためには、日々起きたことをそのまま書いてもブログになるような生活を送らなければならない(いや、勤務先のこととか、書いてないこともあるでしょうけど、それにしても)。ある意味ものすごくストイックなことなのではないかと思います。そういう生活を送り、それを書くこと自体が「テーマ」となっているのではないかと。
ところで

RSSの登録数が少ない。アクセスアップ的には、大変なマイナスとなります。

これですが、

ブログ 日毎に敵と懶惰に戦う
購読者: 134 (先月比 -2)
はてなダイアリーで917 位 / 94016 人 (上位 0.98 %以内)
部門別ランキング art / アート (19 位) 旅行 / travel (22 位) photo / 写真 (54 位) 図書館 (ランクイン候補)
http://tophatenar.com/view/zaikabou

これって、少ないんですかね?
ブクマ数のランキングの方が上(同一時点で207位)ですけど、それははてなムラビト効果ということで。

4.記事のテーマを絞らず、タイトルを工夫しない

この辺は、意図的にやっているのでしょうから、うまくいってますね、と。
あと、以前はzaikabouさんのダイアリは確か「日記モード」で、個別エントリをそのままブクマするとタイトルが「20XX-XX-XX - 日毎に敵と懶惰に戦う」となり、はてブで目立ちづらいという効果が生じていたような気がするのですが、これも意図的?というのは、勘繰りすぎというものでしょうか。

5.とりあえず毎日書く。過去日付でも書く

起床、出勤、午後から出掛けて茅場町…じゃなかった、有明へ。打ち合わせ。そのまま帰宅。以前、山下公園であったインドなお祭りで購入したレトルトカレーを食べた。ベジタリアン用の。美味しかったです。

このように、日々何かしらブログの材料になるような行動をしている(意図的ではないにせよ。ブログに書かないことにしている行動だけで終わる日がないということでもある)ことが、「日々起きたことをそのまま書いてもブログになるような生活」というものではないかと。

6.文字ばかりで読みにくい
ここまでがんばって読んだ方、さぞかしお疲れのことでしょう。

そうでもないです。レスをつけるのは疲れてきましたが。

文字ばかりの記事は、よっぽど面白い内容で疾走感のある記事でもなければ、しっかり読まれることはありません。

「しっかり読まれない」というのが、長いゆえにタイトルだけで脊髄反射されたり、エントリを読まずに他のブコメだけを読んで反応されたりという意味であれば、そうかもしれません。あと、「長くて読めない」とか「○○まで読んだ」とか、「ひらがななので読む気がしない」とか、そういうブコメばかりが並んだりとか。
しかし、そうしたエントリにせよ

賛同者と反対者がブクマページで罵り合いをはじめてくれて、どんどんアクセスが集まる素敵な記事

にせよ、アクセスだけは集まっているわけで、文字ばかりで文章が長くて…というのだけでは、「アクセスを集めないための対策」としては十分ではない気もします。

7.前置きが長く、途中で息切れする

2に同じです。
「(書く方が)途中で息切れする」についてですが、普通のブログであれば息切れしたところまでで(1)として、後日(2)に続く!とすればいいんでしょうけど、日記であることにこだわるとそれが難しいというのがあるんでしょうか。

ちなみにこの記事も、そろそろ疲れてきたことをお伝えしておきます。『村の鍛冶屋』について詳しく紹介している場合じゃなかった!

私も疲れてきました!

8.誤字脱字が多い、体裁を考えない

誤字脱字がある文章の方がむしろ好きなんで(ry

写真が横になったまま放置されたり

写真を取り込んだ後回転させたりなんだり、アップするまでに必要な処理って想像するだに面倒なので、そういう状態でアップしてもいいんだ!というのが広まった方がハードルが下がって嬉しい人もいるんじゃないかと思います。
なのでこの際、横になったまま放置されてるエントリのURLを是非。

9.何事も中途半端、ブログの全体構造が分かりにくい

[自転車]記事一覧 - 日毎に敵と懶惰に戦う
で表示される記事は、自転車関係の記事のごく一部。めんどくさくなって、タグつけて無いことが多いんですよ…。
[巨大建築]記事一覧 - 日毎に敵と懶惰に戦う
『巨大建築』関係の記事が一つしかない!これなら、タグつけるのやめたほうがナンボかマシです。中途半端なことをしているせいで、ブログ全体の構成を見通すことができず、読む気が失せます。

自分も同じ理由で、自分のはてブを読み返す気が失せて幾星霜…

10.結局何が言いたいのかよくわからず、肝心のことが書いていない
ここまで書くとただのネガティブな懺悔になってしまっていますが、続けるぞ。

自虐は自他ともに大好きなんで(ry

単純に、文章が下手で読みにくい、内容がつまらない、写真が下手だからアクセスが集まらないのでないか
そういう根本に目をつむりつつ、この文章も終わるのでした…

きれいな自虐オチを決めてくださりありがとうございました。

結局3ヶ月もたずにブクマ再開した件。

前エントリのとおり、特段の理由や事情はないけれども前もって宣言の上で8月1日からブクマの新規追加を休止してみたのだが、なんとなく10月17日から再開してみたりした。
再開の当初は、たまに無言ブクマする程度かなと思っていたのだが、結局休止前の数ヶ月間とあまり変わらないペース&コメント密度になりつつある感じ。
というか、常識的に考えてTwitterもWeb閲覧も休まないとあまり意味ないよなー。
…という、ネット断ち(というか、ネット上の露出断ちか)失敗の経過報告でした。終わり。